8世紀初頭の伽藍塔を想像して
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福岡県嘉麻市上西地区
江戸時代水不足に悩まされていた村人の為に、当時領地を収めていた黒田藩に遠賀川の水を分けてほしいと直訴した村の医者「正人どん」、黒田藩からは、「鍬一幅の水路」を許され、幅三尺の大きな鍬を作り溝を掘り水不足は解消されました。しかし黒田藩は怒り、欺いたとして正人どんとその家族全員が処刑、村人たちは正人どんの一家の尊い犠牲を悲しみ、正人どんの血で染まった石橋を石橋天神として一家の霊を手厚く葬った。
現在の嘉麻市大隈地区を流れている遠賀川は江戸時代、黒田藩の領地で、この川を境に黒田藩と秋月藩に分れていたようです、「正人どん」の住んでいた上西村は秋月藩の領土の為に黒田藩がなかなか水を渡さなかったようです、私の子供の頃に聞いた話によれば、正人どんは、一鍬の水路を掘ったあと、村人に迷惑がかからぬように、石橋の下で切腹した聞いていましたが、旧嘉穂町史によれば、黒田藩によって処刑されたとあります。
正人どんの紹介と一鍬堀の碑と現在も残されている一鍬堀。
嘉麻市上西地区、嘉穂中学校入り口近くに記念碑と一鍬堀水路の石橋。
現存する一鍬掘の傍には、私の兄が毎年コスモスを咲かせています。
今が(10/28)最高に見ごろです。
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福岡県嘉麻市・・・旧嘉穂町大隈中益の益富自然公園城跡
10月23日~10月31日まで夜間ライトアップされ、幻想的に城が浮かびあがっています。
平成5年から町の有志によって行われています。
旧嘉穂町立大隈中学校第16回卒業生(昭和38年卒)の地元有志の手によって、町の活性化になればとの願いで始まりました、現在は町の有志に引き継がれ毎年この時期に行われています。
一夜城伝説は、1587年、豊臣秀吉は秋月勢(秋月種実)との決戦を前に、町民に戸や障子を運ばせて一夜にして仮城を造ったといわれる。
遠賀川から見た益富山
平成5年、第1回時「一夜城を築く会」の有志による城の絵を描いている様子と益富山山頂に絵を取り付ける作業をしている有志の皆さん。大きさは縦12.6m・横14.4mで、ふもとから見ると立体的に見えるように描いています。
豊臣秀吉は、一夜にして城を造った言われていますが、第1回目の立上には、構想から1年かがリでした。毎週日曜日に手弁当を持ち寄って絵を描きました。材料費のベニヤ板やペンキ類の購入は有志たちの持ち寄りでまかなわれましたが、この活動を聞きつけて賛同した地元民や県外に就職した卒業生からも寄付金が送られてきました。
豊臣秀吉は、1587年に秋月攻めを行い、この城造りに協力した町民に、シンボルのひょうたんの刺繍が入れてある「陣羽織」を、恩賞として与えている。この陣羽織は1960年に国の重要文化財にしてされています。昔は町の文化祭でも展示公開されていましたが、現在は大宰府の九州国立博物館に保管されています。
陣羽織
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福岡県嘉麻市・・・道の駅 うすい。
開駅4周年フェアが10/24~25日に行われました。
題して、「秋の嘉麻騒ぎ!!」
めだまは、まぐろの解体ショーでした、約70kgの鹿児島産本マグロの解体は、圧巻でした。
他 嘉穂牛の大売出しや地元農産物の販売など行われいつもと違った賑わいでした。
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